耐(堪)えるとは…
私の場合は仕事面でいうと、
3年周期位で大きな変化があり、
その度に辛い状況があるなぁと
感じています。
あなたはどうでしょうか。
少なくとも私の場合は、
全く順風満帆ではありません。
何度も心折れそうになりながら、
今も踏ん張ってる感じで、
これからも続くだろうと思います。
今までの辛い状況を振り返ると
何とか希望を見出して、
前向きに取り組むことだけに
焦点を当ててきました。
そして、
振り返った時にはじめて
その過去に対して、
「よく耐えたな」と思います。
ちなみに、
広辞苑には、こうあります。
外部からの力に屈せず、
じっと我慢する
「堪える」
その場でじっと待つ、
そのものをたえしのぶ
しかし、
私自身の感覚は少し違います。
終わりや結果が見えれば、
耐え(堪え)られますが、
ずっと見えないと心折れるので。
なので、
「耐え(堪え)」ようとは、
初めから考えないで、
こう考えるようにしています。
挑戦、失敗してクリアする
良い機会にしよう
腐るのはいつでもできる
これが、
「人事を尽くして天命を待つ」
の「人事を尽くす」だと信じて。
というのも、
幕末に活躍し、明治維新を成した
西郷隆盛などの偉人が師と仰いだ
佐藤 一斎の『言志後録』にも
次のような言葉が出てきます。
息を止めないのが天道である
前向きに取組を止めずに
続ける事が道理である
という意味だそうです。
ただ、
孤独の中で辛い状況にいる時、
自分自身で奮い立つのは、
とても苦しく、難しいことです。

そこで、
伊藤一斎や渋澤栄一は、
「志」を持つ事を勧めています。
「志」とは…
デジタル大辞泉では、
下記の意味だそうです。
1
ある方向を目ざす気持ち。
心に思い決めた目的や目標。
心の持ち方。信念。志操。
2
相手のためを思う気持ち。厚意。
3
謝意や好意などを表すために贈る金品。
香典返しや法事の引き出物、
僧への布施の包みの表に書く語。
4
心を集中すること。注意。
5
相手を慕う気持ち。愛情。
6
死者の追善供養。
儒学では
「志」への過程が「道」で、
「道」は精神修養だそうです。
私自身は、
「世の為、人の為に自ら成すこと」
と解釈しています。
2300年前にアリストテレスも
ニコマコス倫理学の中で
次のように説いています。
幸福とは最高の善であり、
最高の善とな世の為に成すこと
それには
精神修養で自分の徳を磨きつつ、
人間関係を理解し、実践すること

何が辛く、苦しいのか…
たとえ「志」を持っていても
自分だけで努力し続けるのは
苦しく、難しいです。
どうしても、
隣の芝は青く見えますし、
自分だけが辛いという
気持ちにもなります。
でも、少し考えてみたら、
「自分だけ」というのが
辛く、苦しい理由な気がするのです。
というのも、
人は「欲」を原動力にして
やる気を出しています。
ただ、皆んなが違うことで、
ダイバーシティが生まれる一方、
「欲」の過不足、偏見が生まれます。
もともと違うものなので、
比較する必要なんてないのに、
自ずと優劣や過不足を感じて、
更に努力しますが、
思う結果が得られないと
辛く、苦しくなり、
その理由を他責にしたくなり、
感情をぶつけたくなる…
アドラー心理学でも、
「劣等感」の解消が欲の源で、
プラスに働けば成長できる一方、
マイナスに働けば不満分子になると
言われています。
つまり、
比較する目的はあくまでも
他者否定で優越感に浸る為ではなく、
謙虚な劣等感からくる成長の為で、
そこで生まれる苦痛はいわば、
『成長痛』なんだと思います。
そう考えると、
他者否定は時間の無駄です。
他者を傷つけるだけでなく、
嫌われるようにもなりますし、
自分の気持ちだって不快です。
塞ぎ込む時間も大事にして、
『成長痛』だと思って挑むしか
ないのかもしれません。
なぜなら、
世の中は常に変わってますし、
今、隣が青く見えていても、
・本当により「青い」のか?
・「青い」の基準は正しいのか?
・「青さ」はずっと続くのか?
そんな事は、
捉え方も人それぞれですから、
気にしても仕方ないのです。
アダム・スミスの道徳感情論でも
「道徳」は絶対的なものではなく、
置かれてきた、置かれている環境、
或いはそこにある知性や情報により
その中身は異なる
としています。
自分の価値観は、
自分自身が決めているだけだし、
同様に、周りの価値観も、
周りが決めているだけなので、
そもそも違うもの同士ですから、
手っ取り早く調和を取るなら、
自分を変えるしかないのです。
そして、
それはいつ始めても良い。
そうです。
本来、皆んな違うべきもので、
違うからこそ世の中も成り立ち、
自分の個性も磨けるのだから、
周りと調和しつつも、
自分自身は見失わずに
他にはない独自の味を究めて、
成長していく事が道理であり、
ただそれだけなのです。
私自身はそう考えています。

自然も多様性に溢れています。
認める、認めないに関わらず、
変化する自然の中で
変化、進化して対応したものが、
ただ生き残ります。
幸福の捉え方も十人十色。
欲には上限はありません。
それを決めるのは自分次第、
止まるか進むかも自分次第。
疲れたら止まって休めばいいし、
進むのも少しずつでもいいし、
一気に走ってもいい。
ただありのままでも良いし、
何か目指してもいい。
もし、動く気力が持てない時は、
ひたすら休息してみましょう。
動く気力があれば、
自分しか持っていないものを
作り上げていきましょう。
私もそう考えながら、
これからも進んでいきます。
